ソーシャル・キャピタル概念の登場と発展の経過
今日はソーシャル・キャピタル(SC)が概念として捉えられた時期から研究・議論の発展についての経過を整理しながら辿りたいと思います。
主な参考文献は『ソーシャル・キャピタル』(宮川公男・大守隆)ですが、一部Wikipediaも参照してます(汗
初期
1899年 ジョン・デューイ:『学校と社会』
1916年 L.J.ハニファン:
- 論文―学校がうまく機能するためには地域や学校におけるコミュニティ関与が重要と指摘
- 社会を構成する個人間・家族間の仲間意識や共感、社会的交流が重要であり、その蓄積をSCとした
1960〜70年代
1961年 ジェイン・ジェイコブズ:
論文の中でSCという言葉を復活―ネットワークの価値に関する文脈
1972年 ピエール・ブルデュー:
はじめてまとまった説明を展開。―人間の持つ資本を3つに分類
SC=自分のネットワークの大きさ×ネットワークメンバーの持つ経済的・文化的資本量
各人が異なる質と量のSCを持つと考えられる。
1977年 Glenn Loury:
定義(経済学者)、奴隷制の社会的遺産の分析としてSCに言及
コールマンのSC
1980年 ジェームズ・コールマン:Glenn Louryの定義を用い、1988年、1990年の文献でSC概念を発展・有名にした。
コールマンのSC=ヒューマン・キャピタル(人的資本)+お互いに提携し協力しあう能力
- ソーシャル・キャピタルは生産的で社会的関係の一側面。人と人の間に存在するもの
- 信頼
- つきあいなど人間関係
- 中間集団(コミュニティ組織等)
ロバート・パットナムの登場 1990年代以降
1992年 リチャード・A ・クート:アメリカ東部アパラチア地方のコミュニティについてソーシャル・キャピタルの研究をまとめた
1993年 ロバート・パットナム:
『Making Democracy Work』、イタリア北部と南部を比較し、州政府の統治効果に格差があるのはSCの蓄積の違いによるものと指摘。
ソーシャル・キャピタルとは、
人びとの協調的を用意にすることにより社会の効率性を改善しうる、信頼、規範、ネットワークのような社会的組織の特徴
そして、そのような社会の中から「一般化された互酬関係」という規範が生まれる。
水平的、自発的な市民同士の活動や自発的な団体の存在が民主主義にとって重要と提起。
ヒトコト
はい!というわけで、ヒジョーに簡単ですがソーシャル・キャピタルの歴史についてまとめてみました。
キーマンはやはり、ブルデュー、コールマン、パットナムといったところでしょうかね。
ブルデューからはSCの量を推定できると仮定している点は面白いと思います。
ただ、ここにはパットナムやアスレイナーが言う信頼という要素は入ってませんね。
それにしても、ソーシャル・キャピタルって「キャピタル」というくらいだから人為的に操作することが前提で考えられてますよね。
僕もその立場に立っているんですけどね(笑
でも、どうすれば操作出来るのか、また操作して良いものなのかという点は今後考えないといけないと思います。
仮にSCを操作できるとして、ただ「活性化」という名目だけではアウトプット、アウトカムとして弱い気がしています。
それをやることで、具体的に「○○になります」というものがなければ、政策としては成立しないだろうと思っています。
というのも、仕事の関係でまちづくりや地域の活性化*1に関わることが多いんですが、良い悪いは別として、現場ではその成果についてあまり意識されないことが多い。
いや、違うな。
意識していないわけではなくて、うーん……。
あ!本質的な成果・効果には意識があまり向かず、事業としての成果により強く意識がいっているんですね。
つまりはアウトカムではなくアウトプットってことか。
- 本質的な成果・効果:地域住民が誇りを持って暮らせるようになる
- 事業としての成果:観光入れ込み客数の増加、来店者数の増加
たしかに事業としての成果と本質的な成果はリンクしているし、そうでなければ事業をする意味はないんだけど、なんとなく本質的な部分がおろそかになりがちな印象です。
この最大の要因は、本質的な部分の成果というものは、短期ではほぼ出ないものであることにあると思います。
たぶん、5年でもムリで、10年、20年と続けていくことではじめて変わってくるんではないかなと。
そして、おそらくこのスパンがSC培養に要する期間なんだろうなと漠然と考えています。
いやー。難しいし、前途多難だなぁこりゃ。
それでは、また!
*1:いわゆるソフトのまちづくり